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​塩江温泉鉄道ついて

ABOUT

塩江温泉鉄道は、かつて香川県香川郡仏生山町(現・高松市仏生山町)の仏生山駅と香川郡塩江村(現・高松市塩江町)にあった塩江駅のおよそ16kmを結んでいた琴平電鉄(現:高松琴平電気鉄道)の鉄道路線で日本国内唯一の非電化標準軌鉄道線であった。
使用されていた車両は川崎車輛(現:川崎重工業車両カンパニー)製のガソリンカーで、全部で5両が導入され、廃線まで運行された。(詳しくはTRAINの欄参照)
1929年(昭和4年)に琴平電鉄の子会社である塩江温泉鉄道(しおのえおんせんてつどう)の路線として開業したが、のち親会社の琴平電鉄に吸収合併されて同社の塩江線となったものの1941年(昭和16年)に廃止となった。
路線は「高松の奥座敷」と呼ばれる塩江温泉に至る国道・県道を沿うように敷設されており、廃止後70年以上を経てなお一部に廃線遺構が残る。仏生山駅から高松市香川町浅野にかけての廃線跡は道路となり、かつてガソリンカーが走っていたことから、この道路には「ガソリン道」という通称がある。

TRAIN

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川崎車輌製(現:川崎重工業車両カンパニー)ガソリンカー5両を開業に際して導入、以後廃線までこの5両のみで営業された。1 ~ 5号とナンバーが振られていた。
実重量6.5t、片側2ドアの半鋼製軽量車体は長さ8m強、幅2.5m強で、定員は40人(うち座席20人)だった。
側面の客室窓は、「広窓・狭窓・広窓」の3枚でセットとなった窓組が3セット並んでいた。広窓は落とし込み式で開閉するが、狭窓は固定式である。日よけは当時普通だった鎧戸や巻き上げ式のブラインドでなく、カーテンを用いていた。独立した乗務員室扉はなく、運転台の両脇窓は戸袋窓になっていて開かなかった。屋上には当時の川崎製の電車などでしばしば見られた、お椀を伏せたような形のベンチレーターが装備されている。

足回りも独特で、仏生山方は1軸の固定軸、塩江方には2軸ボギー台車を装備した、全3軸の片ボギー車であった。
1軸駆動輪は直径865mm、ボギー台車の車輪は直径690mmと小さく、回転抵抗を小さくするためにローラーベアリングを装備していた。アメリカ製の汎用機関であるブダDW-6形エンジン(直列6気筒5.4L、連続定格出力37.5馬力/1,000rpm)1基を搭載し、これに手動変速機を組み合わせた機械式である。ブレーキ装置は手回しの手動ブレーキだった。

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